1947年(昭22)苦楽社刊。
日中戦争の激化してきた昭和14年から終戦に至るまでのいわゆる戦中期を過ごしたヒロイン宮本洋子の生活と心情の移り変わりを描く。一流の音楽家同士で結婚したが、夫は召集後間もなく戦死する。その直前までの宮本家は各分野の文化人が出入りするサロンの華やかさがあった。洋子もフランスに留学したピアニストであったが、戦況の悪化によりそうした芸術活動も抑圧された。この時代の知識人たちが抱いていた反戦思想を表面に出せば、投獄あるいは拷問で犬死になるしかなかっただろう。夫を失った悲しみに耐えながら、疎開先で農業にいそしむ姿は崇高にも見えた。終戦の放送が彼女の精神に与えた雷鳴のような輝きは想像を絶していたに違いない。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1135124
《将校の未亡人たちが先立ちで、かねて覚悟はして居りましたとか、武人の妻たる者の本懐だちか、遺児を軍人に仕立てて必ずどうするとか、名誉だとか、有難涙がこぼれるとか言ふと、兵隊の未亡人までがその尾について、肚にもない、強がった口を利いてみせる。私はがたがた震へさうに腹が立って、一体うちの欣さんが弾丸にあたって死ねば、何が名誉で、何が有難いのか。靖国神社に祠られれば、どうだといふのか。それより、一生一緒に暮した方が、どんなに嬉しいか知れやしない。》(八)
「それァ、書き方にもよるさ。(…)そこは、餅屋は餅屋でね、うまく検閲にひッかからないやうな書き方だって出来るんだし、かふいふ時代に生れ合せた文学者として、はっきり戦争といふものの実相を見極めて置くことは、自分自身に対する義務だとも思ふんだ。」(十一)