明治大正埋蔵本読渉記

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『新聞小説史(大正篇)』 高木健夫

新聞小説史(大正篇):高木健夫

1974年(昭49)1月~1976年(昭51)10月、雑誌「新聞研究」第270号~第303号連載(うち288号、289号は休載)全32回

 

 日刊新聞に連載された小説の種類と数とがおびただしいものだったことを本書によって改めて知らされた。その時代の文芸活動に新聞という媒体が果たした役割は非常に大きい。

 日本の文学研究にのみ特異なことと指摘されるのが「純文学」と「通俗文学」あるいは「大衆文学」という識別法である。純文学史とは文芸活動の上澄みのような、あるいは衆愚を寄せつけない高踏的な領域なのかもしれない。新聞小説すらそこには含まれないほどの厳しさがあるのだが、だからといってどれだけの人々に読まれ、親しまれ、読むことを通して喜怒哀楽を覚えることができたかに関しては、むしろ新聞小説を含む大衆文学に勝るものはなかっただろうと思う。

 明治篇に続いて大正篇では、夏目漱石朝日新聞の社員として雇われ、一連の作品を連載したことに始まり、最も長大な小説の一つである中里介山の『大菩薩峠』の連載の裏事情、谷崎や荷風、芥川も新聞に作品を掲載していたこと、そして菊池寛吉川英治大佛次郎三上於菟吉直木三十五などの大物による大衆小説の発展など、文壇史というよりも人間関係史を生き生きと記述してくれたのは見事だった。☆☆☆☆

 

新聞研究:1974.01  270号

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3360829/1/35

 

《菊池は明治から大正にかけての、いわゆる近代文学--本格的芸術小説--が「私小説ないし自叙伝的小説の全盛となって、ほとんど小説の形式における作家自身の生活記録になってしまった」とみる。(…)菊池はいう。「こうした傾向を日本特異の発達としては面白いとは思うが、こうした私小説が栄える結果、小説本来の有する小説的興味、架空的面白さ、伝奇的興味、説話的気楽さ、そういうものを案外高級な読者までが、こうした大衆文芸に求めてはいまいか。小説が、平凡な生活記録に化石してしまい、プロットもテーマもなく空想もなく事件もなくなってしまった時、多くの小説家は、自分たちが空席に向って小説を書いていたことに気づくだろう。」》(菊池寛新聞小説批判)

 

 

*関連記事:『新聞小説史(明治篇)』 高木健夫

https://ensourdine.hatenablog.jp/entry/2023/10/09/135906