明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『怪談檮衣声』 香川倫三(宝州)

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1889年(明22)駸々堂刊。作者の香川宝州は生没年など不詳。別に遠塵舎とも号した講談師だったが、これは口演の速記本ではなく、自前で書き下ろした作品ということになる。題名の「檮衣声」(とおきぬた)は唐の詩人李白の「子夜呉歌」にある《萬戸檮衣声》=多くの家から衣を檮(う)つ音が聞こえる、の句に由来する。豪商の若旦那が北野村(現大阪市西成区)にある別荘にいるのを訪ねた医者が、明治の頃にはまだ田舎で、家々から砧の(きぬた)=(洗った衣を叩く)音がしたという情景が書かれている。ここでも美貌の悪女が殺人や強盗を重ねる悪事の間に、心の隙に幽霊の恨念と感じる怪談話が挟まれているが、いかにその潜伏先を探して捕まえるかの逮捕劇がメインとなる。明治時代の神戸の遊興人たちの生態も詳述。最後のどんでん返しは意外だった。☆☆☆



(蛇足の雑感)

明治20年代になってようやく近代化が進み、多くの出版物が出されるようになって、江戸時代の絵草紙本のみならず、話芸として隆盛を極めた落語、講談、浪曲義太夫などを筆記した書籍が大量に出回るようになった。漢文調や雅文体で書いていた知識階級の文人たちもおそらくこの趨勢に押されて「言文一致体運動」を始めたのではなかろうか? 文学史上初の言文一致体での記述を試みた二葉亭四迷明治20年から23年にかけて『浮雲』を書いている。それに注目するわけでもなく、ほぼ並行するように講談師たちも筆記本を出し続けていった。絶対多数に愛好されたのは事実上、後者のほうだったのではと思われる。

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。挿絵には一陽斎の銘があるが、一陽斎は江戸時代の歌川豊国などが使っていた号で、明治に入って使っていたのは歌川国峰 (1861-1944) ではないかと推定されている。

dl.ndl.go.jp

 

※この作品の書き出しを見ても、わざわざ「言文一致体」と標榜する訳でもなく、ほとんど現代口語になっている。

《偖(さて)住所(ところ)は東区南本町邊で豪商の中に算へられる勝見真兵衛といふ木綿商がございました。此の家(さと)に正太郎といふ、当年(ことし)二十二歳になる若旦那がございまして、近隣(きんじょ)の娘子達の風評(うわさ)にも、正さんは恰(まる)で雁治郎(なりこまや)に相似(そっくり)だよネエ、我當(まつしまや)に似て居るよ、アラ巖笑(こむらや)にも何処(どこ)か似て居るぢや無いか、なんぞといはれる程の好男子(いいおとこ)ですが、・・・》

 

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