(うらおもてふたつだま・すぺいんきだん)
1896年(明29)11月~1897年(明30)6月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行。
邑井貞吉(むらい・ていきち, 1862-1902)は講談師の名跡を父邑井一から継承し3代目として活躍していた。円朝や涙香による西欧読物の翻案の流れを受け継ぎ、積極的に新作物に取り組んだ。これも珍しいスペインの物語を底本として、これまでの一般的な口演速記ではなく、自分で語ったものを自分で筆記するという「自講自記」の新たな試みで寄稿している。しかしこの3代目貞吉は40歳で早逝する。ある意味では貴重な作品だったと言える。
男女の双子として育った女の子のお力は、親兄弟と離れ離れとなり、孤児として他人の許で養育されるうちに男の子として生きることを決心する。女性から恋慕されたことから決闘になったり、結婚式から逃れようと艦隊に乗りこんだりと、波乱万丈の展開には語り口の名調子とともに惹きつけられた。トラヴェスティ(男装者)の物語としても珍しく、興味深いものがあった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1601376
口絵および挿絵は楊斎延弌または延一(ようさい・のぶかず)
《此比(このごろ)おりきは一種不思議な考慮(かんがへ)を持ってゐ升(ます)のは、世の中に女程(ほど)損な者は無(ない)、よく男女同権といふが口先許(ばかり)で実地に付いて見ると矢張(やっぱり)男には天窓(あたま)が上がらない。人間に生れて来た上は男でなければ自由が利かない。仮令(たとへ)身体が女で有(あら)うとも男子の形姿(すがた)に成(なっ)て男の為(す)るやうな事をして出来ない事は有(ある)まいと、遊ぶことより兎角男の子に近い事をして、球を飛ばし、水を泳ぎ、喧嘩口論荒々しい事もする様に成ました。》(第八回)