明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『悪魔』 稲岡奴之助

奴之助 悪魔1

1911年(明44)嵩山堂刊(すうざんどう)(青木嵩山堂から社名を変更したらしい)

題名から想像して、犯罪小説かと思って読み始めたが、明治期の悲劇小説の部類だった。「悪魔」と題したのは恋人に振られた画学生が、恨みつらみを込めてその恋人の肖像画を描き、それを画題として出品したことによる。画学生は友人に励まされながら、その絵を完成させることで失恋を克服し、芸術家として成功の道を確立する。それに対して華族夫人となることを選んだヒロインの澄子は、その美貌が災いして、横恋慕では攻め寄られ、小姑からはいびり倒され、ついには夫から離縁されるに至る。因果応報の悲劇とも読めるのだが、たまたま小間使いとして仕えるお里も画学生を恋慕っていることを知り、その恋の成就のために自分が犠牲になって助ける。稲岡奴之助は多作家のほうなのだが、文脈にはどこか青年っぽさを感じる。☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/885271

口絵作者は未詳。

 

奴之助 悪魔2

《相手の心に果して真実があったか無かったか、其れまでの深い考へはなく、只一筋に懐かしい慕はしいといふ一念から、甚麽東西(なにもの)をも其一念の犠牲にして、住み慣れた土地(ところ)を離れ、親の家を離れ、確乎(たしか)な的標(あて)もない目的(あて)を当てにして、知らぬ他国へ来て他人の中で苦労をする、何といふ単純な心であらう。而(そ)して自己(みづから)は其れを愚(おろか)な行為であるとも思ってゐぬらしい。殆んど理性といふものは没却して熱情ばかりに駆られてゐる、罪も科もないとは実にお里のやうな女(もの)を云ふのであらう。

 若しやお里に新らしい教育が有ったら何うであらう。正かに是れ程までの無分別な不先見(むかうみず)な恋は仕なかったであらう。其代り情と理との闘争(たたかひ)は心の中に止む間(ま)がなかったであらう。字を知るは憂ひを知るの原であるとは能く謂(いつ)てゐる。思へばお里の心が羨ましい。澄子は自分の身に較べて、何処までもお里を憐れんだ。》(其四十二)




※稲岡奴之助に関するブログ記事:

◇神保町系オタオタ日記

稲岡奴之助はやはり新聞記者だった (2010.07.22)

jyunku.hatenablog.com

 

◇古書の森日記 by Hisako(黒岩比佐子

稲岡奴之助『海賊大王』(明治38年)(2007.02.16)

blog.livedoor.jp



※関係記事:

『怪物屋敷』 稲岡奴之助 (2022.01.27)

ensourdine.hatenablog.jp



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