1897年(明30)9月~1898年(明31)2月 雑誌「人情世界」連載、日本館本部発行
講談速記本の形になっているが、演者の菊水舎薫(きくすいしゃ・かおる)は元々主筆の高橋翠葉(恋菊園)の門人だったのが、大阪に行って講談師の資格を取り、東京に戻ってきたという。手持ちの新作講談を連載してもらうことになったと紹介している。
明治初期の西南戦争の頃の実話に基づいている。ならず者の継父の手から離れて村長に養育されているお絹は、ある日大金を銀行に預けに行くよう頼まれるが、途中で継父に出会い、その金を強奪される。そのため自分の親を牢獄に送ってまで正義を貫くべきか否かで悩み、結局自身を芸妓に身売りしてその金を弁償する道を選ぶ。明治でも親子の義理が大きな枷として人心に重くのしかかる悲劇が少なくなかったのだろうと思う。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1601403/1/9
口絵および挿絵は楊斎延弌または延一(ようさい・のぶかず)
《人の好き嫌ひ程、奇妙なものはありません。彼の人はあんな好味物(うまいもの)が嫌ひだって怪訝(おかしい)ねえ…と笑ふ人の大嫌ひな物を、笑はれた人が、大好(だいすき)で又笑ひかへすなんぞは、随分世間に沢山例がございます。俗に所謂蟲の好く好かないのだから、仕方がない。夫(それ)と同じで、単に食物(くひもの)ばかりでない、人間と人間同士でも、奇妙のもんで、相性が良いと、一面識でモー百年も、馴染んだ狆ころの様に、お互ひに睦まじく交際する。夫(それ)に反して、虫が好かんとなると、先で親切を盡せば盡す程、其の人が気障になる。如何云ふ具合で其様(さう)なるか、菊水舎(わたくし)なぞには判りません。》(第六席)