1963年(昭38)講談社刊。日影丈吉はフランスのミステリーの翻訳家としてのほうが馴染みがあった。この作品は昔読もうと思って書棚に並べたこともあったが、読めなかった経緯がある。どこかジョルジュ・シムノンに似た作風に思えた。
群馬県の渋川とその周辺の村が主な舞台。妻をお産で亡くした男は、生まれた子供も生後半年で病気で亡くす。その子は妻の実家で育てられていた。葬儀で妙な出来事が起きなければ、その男の時間経過における心象風景を丹念に綴った文芸作品のように感じられる書き方だった。全般的に暗澹としたタッチなのは、その男の生きる姿勢が保守的で、あまり意志や目標や未来が見えてこない点にあると思えた。また、親戚とはいいながら、美しい人妻との親身な関わりの微妙さや心理の変化なども良く描けていた。☆☆☆
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《しばらく山を見ていたためか、人間てばからしいものだという気持が、強くなっていた。自分たちの日常くりかえしていることは、愚かというに尽きる。そして、その愚かさの集積が彼自身なのだ、という気がして苦笑させられた。何か意気ごんでここへやって来た自分をかえりみると、来てはみたが何もすることのない自分が、ばかげてみえた。残りの時間を、寝るのに適当な時が来るまで我慢している他はないのが、彼の現状だった。》(第二章 春)
《たましいなぞ、見えも探れもしないじゃありませんかと、いつか母に申してやったことがございます。母にいわせると、たましいとは物がうまれる力だそうです。人でも物でも同じだそうなのです。見えなくても、そういう力は感じられるだろうと、母は申します。》(第四章 秋)