明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『平和の巴里』 島崎藤村

平和の巴里:島崎藤村

1915年(大4)左久良書房刊。

島崎藤村は41歳の年、1913年4月に神戸から出国して1916年7月に帰国するまでフランスに滞在した。その背景には家庭環境のいざこざがあったという。ちょうど第一次世界大戦が勃発する直前で、パリからの書簡という形式で東京朝日新聞に「仏蘭西だより」を断続的に掲載した。本書はその前半の15カ月間の見聞記、まだフランスが戦争に巻き込まれていない時期の感想・随想をまとめている。

明治期の日本はまだ市民生活が和風の習慣から抜け出てはおらず、パリの宿で生活するだけでもその差異の大きさは強烈だったと思われる。単身での滞在なので、生活者としてよりも孤独な旅行者としての視点で、革命記念日のダンスや謝肉祭の装飾に驚き、ドビュッシーニジンスキーの公演に感動する。まさに「旅をする異邦人」(エトランゼエ)の感性だった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/936135/1/2

 

平和の巴里:島崎藤村2

《過る十五ヶ月は三年にも四年にもあたるやうな気がします。私はもう可成長い月日の間、故国を見ずに暮したやうな気がします。その間、日頃親しかった人々の誰の顔を見ることも出来ず、誰の声をも聞くことも出来ずに暮したやうな気がします。》(序)

 

《然し故郷の方で想像されるほどに巴里の夏が美しいか、それは私には一寸申上げにくい。こゝには木や石で敷つめた立派な道路があります。好く手入れをした並木があります。花園のやうな公園があります。(…)けれども町を呼んで来る金魚売もなく、軒に掛る釣忍(つりしのぶ)もなく、美しい蛍も見られず、蝉一つ鳴いたのを聞いたことも無いやうな斯の都会の夏は何となく私には大味なものゝやうに思はれて成りません。》(祭の日)

 

《土地不案内な私は申すまでもなく東洋の果から来た一の旅人に過ぎません。『芸術の都、文明の泉源、風俗の中心。流行の中心』として仏蘭西の作家が誇った斯の巴里の中に真にエトランゼエらしい身を置くに過ぎません。見るもの聞くものは私に取って新鮮な印象を与へるものばかりです。私は今、この世の中へ生れて来たやうな心地でもって事事物々に対ひ合って居ます。》(再び巴里の旅窓にて)

 

《実際あの風通しの好い青々とした畳の上で横に成って見たいとか、好きな味噌汁の香を嗅ぎたいとかにも勝って、日本の言葉の恋しさを思ひます。斯うした外国で同胞に邂逅(めぐりあ)って国の言葉を話す時の楽しさを思って見て下さい。斯の通信を書き、時々旅の御話をするといふだけでも何程私がエトランゼエとしての沈黙から紛れて居るかを思って見て下さい。》(音楽会の夜、其他)



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