1935年(昭10)平凡社、大衆文学名作選 第3巻所収。
1941年(昭16)博文館文庫(第2部 22-23) 所収。
(かたきうち・にちげつそうし)江戸時代までの仇討ちは、殺された親の仇を子供が藩主の許可を取り付けて竹矢来の場で果し合いという形で行われていた。この作品も敵討ちの話だが、物語の骨格を米国の作家ジョンストン・マッカレーの『双生児の復讐』(The Avenging Twins, 1923) に拠ったとされている。確かにそれまで日本に紹介された復讐譚である黒岩涙香訳の『白髪鬼』や『巌窟王』と同様に、復讐の対象となる敵を一人ずつじわじわと追いつめて滅ぼすという図式であり、古き日本の果し合いの一発勝負とは異なる趣がある。
作者の三上於菟吉はその骨格を江戸期の伝奇小説の中に落とし込んだのだが、原作の置き換え感はまったく感じさせない、物語のオリジナリティに満ちていて読みごたえがあった。父親を謀殺された復讐の念を抱いて、厳しい修行と知識の習得に努めた双子の兄弟右近と左近が狙うのは三人の侍、一人の医師、二人の商人、さらに彼らを守護する町与力とその手下たちと大勢である。その主人公たちよりもむしろ追い込まれる側の人物像に迫真性があった。心理的な不安や動揺を、例えば視線の動きや煌めきの中に感じさせる描写には重厚さがあった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1236723/1/347
https://dl.ndl.go.jp/pid/1110863/1/3
https://dl.ndl.go.jp/pid/1110865/1/2
挿絵は小田富弥。
《晩秋(おそあき)の黄色な日射(ひざし)がもう斜(ななめ)に低くなった。釣瓶落しといはれる暮脚(くれあし)の早いこの頃だ。何んとなく冬の近づいたのを思はせる冷たい夕風が山の手の小路を吹き渡ると、早くも黄昏の色が、そこらの隅々を漂ひはじめる。》(「流れ」の女房)
《それは全く、恐ろしいまでに同時であった。――大地は凝然と静止し、耳鳴りは止んだ。二人の青年闘士は。忽然として自分たちが冴え澄んだ寒月のもとに、闃(げき)たる深更、生死を賭して相対してゐるのを覚悟したのである。》(不本意な物別れ)
《今日も墓石の苔を拂って、回向料を納めると、娘の部屋にまねかれ、そこはかとない物語りに、時の移るのを忘れるうち早くもいつかたそがれそめ。短日(みじかび)ははや夕べとなった。鐘楼で鳴る鐘の音におどろかされて暇を告げ、境内から出たころは、高台の常緑木(ときはぎ)の繁みに塒(ねぐら)をもとめる夕鴉(ゆふからす)の声さへわびしく聞えてゐた。》(まなむすめ)
*参考ブログ
みずすまし亭通信:三上於菟吉「傳奇 敵打日月双紙」(2009.07.28)
no+e 中島桃果子:
【時雨こぼれ話⑥】三上於菟吉という男<3> ”三上於菟吉と純文学”
(2018.12.04)
*関連記事:『悪魔の恋』 三上於菟吉 (2022.12.10)