明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『影人形~釘抜藤吉捕物覚書』 林不忘

影人形~釘抜藤吉捕物覚書:林不忘

1955年(昭30)同光社刊、11篇所収。

1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集第25巻新進作家集に5篇所収(うち4篇は重複)

 

 最初は大正14年3月から雑誌「探偵文芸」で連載が開始された。岡本綺堂の「半七」ばりの江戸情緒の味わいが出ている捕物帳で、不忘の出世作だが、今は「丹下左膳」の名声の陰に隠れてしまったのが惜しい。

 藤吉と手下の勘弁勘次、葬式(とむらひ)彦兵衛の三人所帯で女ッ気は無い。手下の冗談や混ぜ返しにまったく乗らないニヒルさ(あるいは気取り)が見られ、短躯でガニ股の見栄えのしない藤吉への馴れ馴れしさを遠ざけているが、それが名探偵の心の内を容易に明かさない方策にもなっている。この三人三様の性格や性癖の違いを巧みに描き分けているのに感心した。☆☆☆☆



国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1354720

https://dl.ndl.go.jp/pid/1171640/1/8

平凡社版には近藤正一郎の挿絵が入っている。

 

釘抜藤吉捕物覚書:林不忘2

《脚が釘抜きのやうに曲がってゐるところから、釘抜藤吉といふ異名を取ってゐたが、じっさいその顔の何処かに釘抜きのやうな正確な、執拗な力強さが現れてゐた。小柄な、貧弱な体格の所有主であったが、腕にだけ不思議な金剛力があって、柱の釘をぐいと引いて抜くといふ江戸中一般の取り沙汰であった。》(宙に浮く屍骸)

 

釘抜藤吉捕物覚書:林不忘3

《慶応二年の春とは名だけ、細い雨脚が針と光って今にも白く固まらうとする朝寒、雪意頻りに催せば暁天まさに昏しとでも言ひたいたゝずまひ、正月事納の日といふから二月の八日であった。》(怨霊首人形)



《成田の祇園会を八日で切上げ、九日を大手住の宿の親類方で遊び呆けた小物師の與惣次が、商売道具を振分にして掃部の宿へ掛ったのは昨十日のそほそほ暮れ、丑紅(うしべに)のやうな夕焼けが見渡す限りの田の面に映えて、くっきりと黒い影を投げる往還筋の松の梢に、油蝉の音が白雨(ゆふだち)のやうだった。》(槍祭夏夜話)





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