捕物帳
池田大助捕物日記:野村胡堂 1953年(昭28)同光社磯部書房刊。11篇所収。 1952年(昭27)雑誌「読切倶楽部」一部掲載。 野村胡堂と言えば「銭形平次捕物帳」が代名詞のようになっているが、その外に「池田大助」の捕物帳のシリーズがある。この池田大助も…
金四郎桜:山手樹一郎 1957年(昭32)1月~1958年(昭33)7月、雑誌「小説倶楽部」連載。 1958年(昭33)桃源社刊。 いわゆる「金さん」もの。江戸町奉行として歴史に名を残す遠山金四郎が青年時代に家を飛び出して、町屋に住み、遊び人として賭場に出入りし…
浅香主水捕物帳:佐々木杜太郎 1953年(昭28)春陽堂書店刊。捕物小説全集の内の一つ。全17篇。 1949年(昭24)2月、雑誌「富士」に「伝七油地獄」を掲載。 1951年(昭26)桃源社刊、捕物小説傑作集に「心中富士講」を所収。 佐々木杜太郎(もりたろう、1906…
緋鹿子捕物草紙:村上元三 1951年(昭26)新小説社刊、新小説文庫(第109、110)全2巻。 1951年(昭26)桃源社刊、捕物小説傑作集に「まぼろし燈籠」を所収。 1953年(昭28)文芸図書出版刊。『夜叉頭巾ーお吟捕物秘帖』と改題。 これも女捕物帳の一つで、…
紅太郎捕物帖:土師清二 1948年(昭23)高志(こし)書房刊。 1951年(昭26)桃源社刊。 土師清二は昭和初期から戦中、そして戦後にかけて息の長い作家活動を続けた。特に戦後の捕物帳ブームの火付け役となった捕物作家クラブの副会長として(会長は野村胡堂…
清吉捕物帖:三好一光 1951年(昭26)同光社刊。全12篇。 1950年(昭25)4月、雑誌「富士」掲載「辰巳八景」清水三重三・画。 1951年(昭26)3月、雑誌「富士」掲載「仁王の怒り」佐多芳郎・画。 1951年(昭26)5月、雑誌「富士」掲載「地獄のたより」馬場…
鏡屋おかく捕物帖:土師清二 1954年(昭29)同光社刊。 1956年(昭31)同光社刊。同内容だが書名は『お千代舟の女』に変えて出版。 1955年(昭30)鱒書房刊、「捕物小説集第1」に「紅勘殺し」を所収。 1961年(昭36)12月、雑誌「小説俱楽部」臨時増刊号に…
右門捕物帖:佐々木味津三 1956年(昭31)鱒書房刊。 「むっつり右門」の捕物帖は全部で38話にのぼる。この鱒書房版では全5巻に分かれ、第1巻は第一番手柄「南蛮幽霊」から第七番手柄「村正騒動」までを収める。すべての話が「第〇番手柄」と整理され、…
影人形~釘抜藤吉捕物覚書:林不忘 1955年(昭30)同光社刊、11篇所収。 1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集第25巻新進作家集に5篇所収(うち4篇は重複) 最初は大正14年3月から雑誌「探偵文芸」で連載が開始された。岡本綺堂の「半七」ばりの江戸情…
稲妻左近捕物帖:九鬼紫郎 1952年(昭27)同光社出版刊。 1950年(昭25)4月および12月、雑誌「富士」に2篇掲載。 探偵雑誌「ぷろふいる」の編集長を長年務めた九鬼紫郎が九鬼澹(たん)の名義で発表した南町奉行所同心の稲妻左近の活躍する捕物帖10篇を…
捕物そばや:村上元三 1955年(昭25)6月~1956年(昭26)5月、雑誌「読切倶楽部」に連載。過去に別の雑誌に掲載されたものの再掲載を含め計12篇。 村上元三が生み出した捕物帳の主人公 加田三七のシリーズは作者自身も愛着があったようで、終戦直後に書き…
捕物そばや:村上元三 1953年(昭25)桃源社刊。全11篇所収。 1961年(昭36)12月、雑誌「小説倶楽部」錦秋大増刊号に「軽気球の殺人」のみ再掲載。 捕物そばや:村上元三2 村上元三は戦後の時代小説の代表的な作家の一人だった。剣豪もの、武将もの、侠客…
1961年(昭36)講談社刊、山手樹一郎全集 第29巻 「遠山の金さん」とは、後に遠山金四郎景元として江戸北町奉行および南町奉行などを歴任した人物。柳橋の船宿相模屋の二階に居候する遊び人の金さんはもともと旗本の次男坊の身の上だが、家を飛び出して町人…
松五郎捕物帳 1935年(昭10)松光書院刊。作者の栗島狭衣(くりしま・さごろも)(1876~1945) は劇作家の岡本綺堂とほぼ同年代だったが、20代は朝日新聞の記者であるとともに文士劇の主要メンバーとして活動した。30代からは一座を組んで俳優として活動し、…
1950年(昭25)矢貴書店刊。新大衆小説全集第10巻所収。長篇を読むのは2作目となるが、事件の骨組みが最初の『娘変相図』と似通っていて、なかなか捜査の糸口が見えないのもむしろ平次たちの行動に緩慢さを感じた。未遂も含めて連続殺傷事件の被害者が多く…
1950年(昭25)矢貴書店刊。新大衆小説全集第10巻所収。銭形平次物は長中短合わせて383篇にのぼるそうだが、まともに読んだのは今回が初めてになる。胡堂の文体は「でした、ました」という丁寧な語尾に特徴がある。傲慢な読者でも語り手がへりくだった姿…
1954年(昭29)東京文芸社刊。1949年に発足した捕物作家クラブの中心にいた野村胡堂、土師清二、城昌幸、佐々木杜太郎、陣出達朗の5人によるリレー形式の合作になる。合作による「伝七」物は新聞や雑誌への連載でしばらく続いたが、1953年から足かけ10年に…
1957年(昭58)雑誌「小説倶楽部」桃園書房発行。新年特大号に掲載。 「伝七捕物帳」は映画化やテレビドラマ化される頻度が高かったせいか、知名度は高い。しかし当初は捕物作家クラブの作家たちによる共同企画で、合作だった。初出は京都新聞での連載だった…