明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『夜叉夫人』 樋口ふたば

夜叉夫人1

1897年(明30)聚栄堂刊。書名『夜叉夫人』、作者名:樋口二葉(ふたば)

1910年(明43)晴光館刊。書名『鮮血淋漓』、著者名:樋口新六 (靄軒居士)

1911年(明44)日吉堂刊。書名『意外の秘密』、著者名:やなぎ生

 

 樋口二葉(ふたば)(1863~1930) という筆名を見ると何だか冗談めいたことを思ってしまうが、有名な樋口一葉(1872~1896)とは何の関係もなく、年齢も10歳ぐらい年上の文筆家だった。だから名前は偶然そうだったと考えるしかない。(文末の引用記事参照)

 彼は新聞記者の出身ながら、浮世絵などの美術評伝物や史伝物、江戸期の演劇論など広範囲な文筆活動とともに作家として探偵小説や家庭小説を書いている。特に興味深いのは言文一致体の定着が進んだ明治中期から後期にかけて、その実践例ともなる「小説の書き直し」を行ったことが、彼の『夜叉夫人』でわかったのだ。

 明治30年に出されたこの探偵小説は、美文調の格調高い文語体で書かれていて、題名からすぐに犯人がわかるネタバレ作品なのだが、その真犯人のカモフラージュ振りやポーカーフェイスの徹底ぶりなどが巧みに書かれ、それをいかに突き崩せるのかが読者の興味となっていた。本文中には「気取った言文一致」体で報告書を書いてきた、と苦情を口にする個所などがあり、例の言文一致運動を当時は単なる流行と捉える向きもあったことはとても興味深い。

 しかしながらそれから10年以上経過した明治43年に彼は樋口新六(靄軒居士)という別の筆名で『鮮血淋漓』(せんけつりんり)という小説を出している。これは完全な言文一致体で書かれているが、物語の骨格が『夜叉夫人』とほとんど同一なのは読めばわかる。ただし登場人物は全員別人の氏名を付けているし、いくつかの場所も別の所に設定している。完全にリライト作品なのだ。

 さらにその翌年の明治44年、別の版元から出た『意外の秘密』という小説に至っては、作者名をやなぎ生としながらも、版組は『鮮血淋漓』をそのまま使って表紙、タイトル、作者名を変えているのがわかる。要するにこの3冊は同じ本だったのである。

 やなぎ生という筆名でも明治末期から大正期にかけて彼は多方面での著作を続けた。国会図書館デジタル・コレクションで検索してもその多様さに驚く。この頃には、樋口一葉の名前が高名になってきたと思われ、下手に勘ぐられたりしないように「やなぎ生」という名前で気兼ねなく活動できたのではと思われる。☆☆

 

夜叉夫人:後藤芳景2

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/888508

https://dl.ndl.go.jp/pid/887034

https://dl.ndl.go.jp/pid/885368

表紙絵と口絵作者は後藤芳景。

「意外の秘密」の口絵は田中竹園。



《正元の身の上は名月に輝く様で、お負(まけ)に一点の曇りない大空に、その円満に光明ある物体に顕微鏡や「エッキス」写真術を使用して探究したとても月界に朦朧たる斑点は射映する事も出来ず、遂に悪事の黴菌は見出されざりき。》(五、見込み外れは死体の解剖)



《夕涼しと見たる月白み渡りて澄み、膚(はだへ)も漸(やうや)う毛立(けたつ)ばかりに淋しさを増し、一連の雁行哀(あはれ)の音を吐き、橋の袂に乃(やが)て霜に消ゆる果敢なき草の種、花の露、青葉繁りたる街巷(ちまかた)の柳、拗(くすね)ても、歎(かま)ちても、色愛(めで)らるる紅葉(もみぢ)とは肩竝(なら)ぶるに難(かた)く、千々に悲しき秋の名残も、蜘蛛の囲(ゐ)だに残さで吹き去りける川風、袂(たもと)翻かへし、寒さ覚ゆる十一月の中旬、而も夜は十二時すぎ、横濱鐵(かね)の橋を車にも乗らず、徒歩する紳士の後より抜足差足うかゞひ寄る探偵「御用」と云ふ中、縄は右の手首に掛った。》(十九:鉄橋の捕物)



《久保仙之助から報じ来たる中に、石子夫人と鳥羽正元の談話がある。其報告も気取って言文一致の小説体をなしてゐる。報告に此様(こんな)事を書いてゐては急場の間に合わないと呟きつゝ》(十六・緻密の報告は紳士の身上)

 

意外の秘密:田中竹園


※参考ブログ:

謎の樋口二葉     @ 神保町系オタオタ日記 (2009.04.14)

https://jyunku.hatenablog.com/entry/20090414/p1




《樋口二葉氏を故一葉女史の妹ならんと、新聞に雑誌に云ふもの多かれど、左にあらず、全くべつ人にして、筆を文壇に執るは一葉女史よりなほ早かりけん、その心、その品行は思ふよしあればしばらく、云はずなん、 蓮児誌す。》(「武士道」第三號、1898年4月)

 

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