1956年(昭31) 大日本雄弁会講談社刊。
これは珍しい山田風太郎と高木彬光の合作推理小説だった。作家が一人だけで書き上げるのとはかなり勝手が違ってくるので、感覚的にはもどかしい点もあっただろうと思う。登場人物の使い方の違いなども何となく想像しながら読むのも面白味があった。
推理作家にはそれぞれ「手持ち」の名探偵がいるのだが、山田風太郎の現代物の推理小説で活躍する荊木歓喜という酔いどれ医者もその一人なのを最近知ったばかりだ。ブログでお世話になっている「みずすまし亭」さんに簡潔にまとまった解説があった。
共作の一方、山田風太郎からは外見からは風采の上がらない飲んだくれのヤブ医者荊木歓喜、もう一方の高木彬光からは「秀でた額、澄んだ眼、高い鼻のギリシャ彫刻のように冷たく俊慧な容貌」の神津恭介を登場させ、二人二様の探偵活動を展開する。
国務大臣の杉村が空き家の邸宅内で惨殺され、その殺され方も乱歩風の残虐性があった。一人の男が殺されるとその現場に関わった女性が自殺するという事件が二つ連続すると、戦前に起きた伯爵家の惨事に関連する糸口が見えてくる。変装が多すぎる。AがBに変装することと、AがBに変装しているのが見え見えにふるまうこと=つまりAがAのままでいることが頻発すると認識上の困惑があちこちで起きる。しまいには供述や証言が二転三転し、それには思い込みや誤認があったとすれば、どんな名推理でも簡単にひっくり返されてしまうものになる。荊木歓喜の性格描写は魅力的であり、幇間のような落語家馬笑の存在とともに人間味の味わいを感じた。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1662825
刊行に合わせて東映で「拳銃対拳銃」というタイトルで映画化されたようだが、推理の引きずり回しをスクリーンで再現するのは困難なのでは?と思えた。
《もっとも女優や流行歌手などの人気を得るゆえんは、その芸や歌や容貌よりも、その人間のどこかに、うす蒼い神秘の靄のたちこめているところにある。たとえば、いつまでたっても処女であるとか、逆に男から男へはてしなき流転の旅をつづけるとか。……そしてそれにおとらぬ賢い方法は、その過去に黒いとばりをおろすことかもしれない。》(黒衣の歌姫)
《つくづくと、このローズ真利という女も異常である。世には情人のからだの一部に触れただけで欲情に身ぶるいしはじめる肉慾の塊のような女があるが、このローズ真利もそうなのであろうか。たったいま怒りの炎に燃えたっていたかと思うと、もうねっとりした白い頬を、脂ぎった男の頬にぴったりとおしつけて、恐ろしい媚態をくねらせている。》(替玉)
《もとより犯罪においては、犯人こそ創造者であって、探偵はその批評家にすぎないが、それにしてもあんまりひどすぎる。》(無情荘に集まる人々)
*参考過去記事:
『運命の車』 山田風太郎
『神秘の扉』 高木彬光