1918年(大7)樋口隆文館刊、前後終全3篇。
明治大正の頃、結核は不治の病として、現代のガンと同等以上に人々に恐れられていた。効果的な治療法もまだ確立されておらず、滋養豊富な食事と転地療養ぐらいしか考えられなかった。人によっては牛の生血を飲むことが体力をつける手段と考えられていた。
この小説の冒頭では、東京の品川大崎地区に当時設けられていた屠牛場(食肉処理場)に毎朝通って、そこで供される生血を飲む人々の中に、若い男女と一人の老人の奇妙な三人組の出会いから語られる。三人とも胸を患っているが、偶然にも共通する二組の金満家たちに恨みを抱き、自分が死ぬ前に復讐の鉄槌を加えたいと密かに思いつめていたことがわかる。
その中心にはヒロインの美千代がいて、自らの画才をもって呪いの絵を描いて彼らに衝撃を与えたいと望むが、逆に彼女の美貌でその身を危険にさらす場面に陥ってしまう。富豪一家の俗物根性やら、バンカラで太鼓持ちの無責任男やら、恋に盲目となる荒くれ漁師の行動など、多彩な人物が入り乱れる復讐劇となっていた。例によってプロット展開の上手さ、コミカルな掛け合いなど江見流の面白さを味わえた。☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
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口絵は八幡白帆。
《未だ二十歳前の女。それが牛の生き血を啜(すす)る。甚(はなは)だ気味が悪い。怪奇小説にでもありさうであるが、問題は人生の真味を鋭く一気に貫いて居るので、如何しても生きなければならない。何が何でも生きなければならないといふ人間の根本に関する事柄だから、之を客観して、詩化、劇化、或は伝奇化するの余裕を何人も持たない。》(五)