明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『指環』 黒岩涙香

涙香 指環

 1889年(明22)金桜堂刊。原作はフォルチュネ・デュ・ボアゴベ (Fortuné du Boisgobey, 1821~1891) の新聞連載小説『猫目石』(L’œil de chat) だが、涙香は元々の仏語から英訳された本からの重訳で記述していた。発表から1年後には和訳が出版されていたところに当時の日本の翻訳者たちの敏感さを感じる。

 涙香は人名を日本名に、舞台となるパリの通りや公園の地名も漢字に置き換えているが、それでも洋風の雰囲気を十分に感じさせてくれる。今回は、酒類や産物の入市関税を逃れるために地下道で運び込む一味の犯罪を偶然知った貴族の青年とそれに巻き込まれた伯爵夫人の身辺に迫る危機を描く。繊細な心理描写とまでは至らないが、「これを話したらどう思われるだろうか」などと思い悩む心境を細かに追っており、その「ああだ、こうだ」が多過ぎるきらいがある。涙香+ボアゴベの訳本を読むのはこれで5冊目になるが、構成に起伏が少なく印象は軽い。涙香27歳の頃でまだ活躍したての頃だからかもしれない。あるいは原作者ボアゴベの思考回路だろうか。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/888810

表紙絵・挿絵は茂木習古と思われる。

 

《牧野が其顔を見ると同時(ひとし)く其女も又牧野の顔を眺めたるが是ぞ牧野が身に生涯忘れ得ぬ出会(であひ)なりける。(---)唯(ただ)其女の面影は不思議と思はるゝほど美しく又不思議と思ふほど深く牧野が心に侵入(しみい)りたり。》(第七回)



《此の接吻の時は「忘れ」の時なり。三階楼上の囚人となり居ることを忘れ、入口の戸を開くと共に我命さへ危き事を忘れたり。アヽ愛の情よ、愛するほど楽しきはなく、愛さるヽほど嬉しきはなし。二人は暫し愛に酔ひて四辺(あたり)の事を忘れ居たるも早や曲者が梯子段を登り来る足音に驚きて・・・》(第四十一回)

 

 

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