明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『人の罪』 小栗風葉

 

1919年(大8)新潮社刊。前後2巻。これは本当に埋もれていた佳品だと思った。日本の近代文学に限って使用される「純文学」という概念のラベルを貼るか否かというのは問題にすべきではないと思う。情景描写も丁寧な筆致で、文芸作品としてよく出来ていて、読み応えがあった。

自分の親兄弟が、社会的な評価で下賤とされる職業、あるいは犯罪者であった事実をもって、本人たちまでもその烙印を背負って社会の表舞台に背を向けて生きなければならないという考え方は、狭量な「世間の目」という言葉とともに一般人の心の底に巣食っているものだ。シェークスピアの「オセロ」のイヤーゴのような陰湿で腹黒い人物も巧妙に描いている。また同じ姉妹でありながら、一方が清楚で真面目な心情の持ち主なのに、他方が気分屋で深刻に考えることが出来ず、いいかげんな態度になる思慮を欠いた女性という対比も面白かった。

読みながら傍線を引きたくなるような思考の輝きが散見され、思わず引用してしまう。前半で10数頁の落丁があるのは残念。今年の収穫の一つとなった。☆☆☆☆

 

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。表紙絵は竹久夢二

dl.ndl.go.jp

 

《然(しか)し其の真空のやうな白日の下の、物侘しいほど明るい光の漲(みなぎ)り溢れた地上には、木と云ふ木、草と云ふ草、葉と云ふ葉、花と云ふ花が各(おのお)のゝ機能を競って、ぢっと耳を澄したら、其の命強い発育の喘ぎも聞取れさうである。長い冬の間影を潜めてゐた総ての昆虫も、此の陽気で一度に甦って、冷たい土の中からは暖かい地面に、窮屈な蛹からは広々とした大空へ、孵(かへ)るものは孵り、化(は)へるものは化へ、それぞれ生命の営みに忙しい。何を見ても総てが春だ。大きな自然力が有らゆる物に融々と流れ動いてゐる闌(たけな)はな春だ。》(5.春の光)



《人の世に何が美しいと云って、此のやうな純潔な処女が自分の全精神を籠めて、同じ純潔な一青年の人格に熱情を傾けると云ふ事ぐらゐ美しい事があらうか。(…)彼女は利己的の雑念を少しも交(まじ)ゆること無しに、献身的に天の使命を負って、それを果し、それを完成する事に全努力、全願望を惜まないのである。つまり斯うした純潔な処女の初恋は、其の処女の心臓に天使が巣くって、そして天の心を成し遂げようとする聖なる病気である。》(7.暗い影)

 

 

「其の前に私は本当の事を知りたいのです。恐ろしい秘密を背負って、暗い運命に生れて来たのも知らずに、平気で活きて行くほど不見目(みじめ)な事はありません。設(たと)ひ其の秘密を知った瞬間から、私は世界が闇になっても管(かま)ひません。私は自分の本当の運命を知って活きて行きたいのです。欺かれて幸福であるよりも、真実で不幸である方が、私には心強く活きて行かれるのです。」(16.十字架を負うた母)

 

「人は何(ど)んな苦しい場合にも、自分で自分の命を亡くなさうと云ふ考へは、間違ってゐると思ひますわ。人が生きてゐるのは、生きて行かなければならないのは、何も命が惜しいばかりぢゃありません。生きてゐるよりも、死んだ方が楽な場合は随分ありますわ。けれど、人間には自分で勝手に自分の命を始末して可いと云ふ事は、決して許されちゃありません。それは最っと高い義務が人間にはあるからです。自分の苦しいと苦しく無いとに拘らず、人間には人間の其の大切な義務の為めに、お互ひに生きて行かなければならないものでは無いでせうか。」(19.寂しい二人)

 

《一人の人間が此世に生れて来るまでには、同じやうな未生の命が何れだけあったか知れない。我々の目にこそ見えないが、此の宇宙には生れようとする意志で充満してゐる。其の中から撰まれたる命のみが此世の人間となって生きるのだ。からして、我々が人間として生きたいと云ふ切ない願望は、此世に生れない先からの宇宙的意志なのだ。其の人間の命を、同じ人間の手で滅(ほろぼ)すと云ふ事は、人類に対する罪ばかりぢゃない、宇宙の大意志を暴殄(ぼうてん)するものだ。設(たと)ひそれが故意で無くっても、過失であっても、滅ぼされた命に変りは無いからな。》(64.人の命)

 

 

《静野は振仰いで見たが、空では却って見付からないくらゐ月は未だ光が薄かった。日は最う沈んだが、山際がぽっと薄茜色に焼けて、明日も晴らしかった。午後から風の落ちたまゝ静に暮れて、能く凪いだ、水蒸気の多い、冬には珍しい暖かな夕暮である。昼間見ると荒涼とした水枯れの冬田も、霜げた麦畑も、葉を振った骨々しい木立も、それから烈しい凩(こがらし)に吹き飛ばされまいとして、低く地へしがみ付いてゐるやうな彼方此方(あちこち)の百姓家も、一様に柔かな潤みを持って、其の夕暮の薄明りの中にひっそりと包まれてゐる。》(92. 一生一度)

 

《悲しい運命に生れ、味気ない境遇に育って来た彼女は、今自分の上に振懸って来つゝあるやうな然う云ふ事が、何時が世にも自分の身に運(めぐ)って来ようとは思っても見なかった。現に今も自分が人から愛され、そして結婚を申込まれると云ふ事が有り得ようとは信じられなかった。婦人の一生を通じて、誰しもが唯一度しか正当には経験する事の出来ない、然し彼女は唯其の一度すら、予期しても見なかった幸福感の為めに転倒させられた心は、其の幸福を信じない事に依って落着かうとさへした。然し自分に向って愛を求め、自分に対して其一度しか正当に経験する事の出来ない幸福を齎す所の朔郎が、今自分の前に跪(ひざま)づかないばかりの謙虚な、そして厳粛な態度を見れば、それを信じないと云ふ事は余りに相手を傷つけるものであった。》(92. 一生一度)



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