1928年(昭3)平凡社、現代大衆文学全集 第35巻 新進作家集 6篇所収。
1929年(昭4)改造社、日本探偵小説全集 第16篇(浜尾・久山集)15篇所収。
久山秀子は「隼のお秀」と呼ばれる女掏摸(スリ)であり、何人もの手下を抱えている。身なりは令嬢か新進女優かと思わせながら、浅草などの盛り場とか映画館、あるいは市電や地下鉄の人混みが稼ぎ場であった。大正末期からその行状記を探偵雑誌に掲載していたが、作品集として出版されたのは昭和4年の日本探偵小説全集の1巻(浜尾四郎との合巻)だった。単行本でなかったのは、当時「円本」と称される「全集本」が大流行していたためと思われる。著者の写真が掲載されていて、それが唯一の肖像と見なされるのだが、実は久山秀子という筆名の正体は男性であり、巧みにそれを隠していたのだという。モダニスム文化の花咲く時期に、新感覚派的な表現と軽妙な語り口で、指先のトリックを駆使した小事件を片づけて行く心意気は痛快だった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1171640/1/275
https://dl.ndl.go.jp/pid/1194286/1/87
平凡社版の挿絵は井上たけし。
《ところが数年前、いかもの讃美派の文豪、槍先の潤ちゃんて剽軽者が、お政を紹介してからってもの、蜻蛉見たいに頭をてかてかにした文学好きの若旦那や、痩っぽちの蚊学青年も引っかゝるやうになりました。》(濱のお政)
《濱のお政は、隅っこのテーブルに、露出(むきだ)しにした見事な両肱をついて、丸っこい肩の中に、パップ・ド・ヘアの良く似合ふ綺麗な顔を埋めながら、ふっと紙巻の煙を吹きました。》(濱のお政)
《奴等一体どれだけの研究を学界に貢献した!? 学生に至っては論外。若い身空で、恩給を目的(めあて)に地方の高等学校へ行って、女房に子供を生ませることを想像したり、「破船」の作者よりゃア男っぶりが良いからと、教師の娘に惚れられて、あはよくば大学教授に引っぱり上げられることを夢想したり、――ざまァ見やがれ! こんなうじ蟲なんか、蠅取りデーに交番へでも浚へ込んぢまへ!!》(隼の解決)
※多摩美術大学美術館:コドモノクニへようこそ
02:蠅取りデーとは (2013.06.14)
https://tokyopasserby.blogspot.com/2013/06/02.html
※蝿とりデー (2013.02.27) @我楽多屋
https://camera-kaukau.lekumo.biz/arrow/2013/02/haetori.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E5%B1%B1%E7%A7%80%E5%AD%90