明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『韋駄天弥ン八』 棟田博

韋駄天弥ン八:棟田博

1950年(昭25)4月および6月、雑誌「富士」掲載。

1956年(昭31)東方社刊。

棟田博(1909~1988)は今ではほとんど忘れ去られた作家の一人と思われる。戦中期に従軍中の体験を書いた「兵隊もの」の作品で人気を得て、除隊後は従軍作家となった。戦後しばらく休筆していたが、出生地岡山県津山(美作)の小さな城下町を舞台に、明治末期の人力車夫たちの生きざまと変転を描いたのが表題作である。

 

韋駄天弥ン八:棟田博、田代光・画

弥ン八こと溝呂木弥八とその親友幸助とのコンビが、商売仇の俥屋との対抗戦に闘志を燃やす喧嘩と恋のユーモア・ペーソス篇と簡単に言えば終わってしまうが、作者自身の郷土の風物習慣は生き生きと描かれ、個々の人物の性格描写も見事だった。特に時代の変遷が人心に及ぼす時間差の重みが効果を出していた。

 

韋駄天弥ン八:棟田博、田代光・画2

単行本に併収されている数篇も味わいがあり、特に熱海近辺の漁村が舞台の『殴られる町』では町長のリコール騒ぎで、漱石の「坊ちゃん」を思わせる正義漢の新聞記者や文化人を標榜するキザな赤シャツを思わせる人物の行動描写が愉快だった。☆☆☆

棟田博はその後も「兵隊もの」をメインで書き続けたためか、戦後によって戦中が忘却されていくように置き去りにされたように思う。

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561679/1/16

https://dl.ndl.go.jp/pid/1645281

雑誌掲載時の挿絵は田代光、単行本の表紙絵は風間完

 

韋駄天弥ン八:棟田博、田代光・画3

《まったくの話、誰の人生にしたところが、計算通りに行ったためしはない。というのが、人生行路にはなにせ伏兵が多過ぎるのである。飛んでもない時に、飛んでもない男や女が現われて来て、どうも平穏なるべき生涯に波風を起こす。人間万事、塞翁が馬である。》(金時太鼓)

 

《老先生は、科学者として、神秘を否定する者だが、生命の芽生えだけは、神秘だと思うのだ。ひとつの生命が創造されるということは、男女の性交による所産であっても、それは、それ以上のものだ。そこにいのちが生れたということは、神の知ろしめすところとしか考えられない。厳粛な事実である。》(殴られる町)

 

 

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