明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『男をチチル五人の娘』 志智双六

男をチチル五人の娘:志智双六、田中比左良・画

1951年(昭26)6月~12月、雑誌「富士」連載。

志智双六(しち・そうろく, 1902~1983)についても前回書いた棟田博と同様に、その経歴に関する情報がネットでは見つからない。戦中に書いた「兵隊もの」が古書店でたまに出る程度。終戦直後は雑誌「大衆文芸」や「富士」、「読切倶楽部」などに軽妙な短篇を精力的に発表した。特に「富士」では、1950年6月号の編集後記に「新人志智双六氏の『月下氷人』も、いよいよ出でて、いよいよ面白く独特のユーモアに皆様のお腹の皮をよじらすことでしょう。」と紹介しており、以後寄稿作家の常連として名を連ねていた。ユーモア作家としてアンソロジーには掲載された秀作があるものの、大半の作品は初出誌掲載のまま、単行本化されずに終わっている。

 

ここに取り上げた『男をチチル五人の娘』の連作5篇についても雑誌掲載でしか読めないものだった。京都鴨川女学校の仲良しグループの中で、「恋愛関係になった男はすぐに女の身体を求めようとするか?」という課題の正否をめぐって五人の娘たちがそれぞれ実証実験に乗り出すことが根底となっていた。「チチル」という言葉には微妙な響きがあるが、もとは英語 “titillate”  (チチレイト=刺激する)あるいはフランス語 “titiller”(チチエ=軽くくすぐる)に由来するのだが、戦後一時期、外来語風に流行したのではないかと思われる。娘たちは次々に実証に乗り出すのだが、恋愛は遊戯で片づけられるものではなく、場合によっては相手を傷つけ、人の一生を左右する心理状態に陥るものなので、結果的には実験が真剣勝負になってしまうという展開だった。田中比左良の軽薄に見える男女の姿態の挿画も毎号の楽しみであった。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561695/1/45

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561696/1/121

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561698/1/48

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561699/1/38

https://dl.ndl.go.jp/pid/3561701/1/38

挿絵は田中比左良。

男をチチル五人の娘:志智双六、田中比左良・画2

『英語の、動詞でチヽレイト、名詞でチヽレイション。日本では、ある地方では、既に ”チヽル” と縮められて、原語の”クスグル” ”楽しく刺激する” ”興をそヽる” ”ほくほくさせる”といふ意味が、”探りを入れる” ”様子を見る” ”味をためしてゐる” といった意味に使はれてゐるさうです。』(1.高尾多佳子の巻)

 

『あんた、まだ知らなかったわね。チヽルって英語で、”相手の気を引いてみる”とか”探りを入れる”とかいふ意味なのよ。たとへば、唐辛子は、からいかからくないか、ちょっとなめてみるでせう、それをチヽルいふのよ』(4.九條邦子の巻)

 

男をチチル五人の娘:志智双六、田中比左良・画3

『感情に基く人間の行為といへば、大概非科学的でせう。あなたに恋愛の経験はあるかないか知りませんが、(…)恋愛結婚を神がかりのやうに謳歌してみたところで、恋愛には何一つ科学的な基準はないのですからね。あんなものは気まぐれですよ。』(3.烏丸加代子の巻)

 

『本によっては、恋愛で最も大切なのは熱で、それも忘我の情熱だといひます。火のやうな情熱だけが、鉄のやうな固い相手の心をとかしもし、氷のやうに冷たい相手の心を沸き立たせも出来る、といひます。しかし、ぼくはそれで失敗しました。「彼女」たちは、ぼくが熱を上げれば上げるほど、ぼくから逃げて行ったんです』(5.桂かつ子の巻)



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