明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『生首正太郎:探偵実話』 あをば(伊原青々園)

生首正太郎:伊原青々園

1900年(明33)金槙堂刊。前中後全3巻。時事新報連載136回。

 

明治から昭和初期にかけて作家および劇評家として活躍した伊原青々園(1870~1941)(本名:敏郎)は20代の頃「あをば」という筆名で新聞小説を書いていた。これは「あをば」の著作本の奥付に彼の本名が書いてあったことから判明した。

『生首正太郎』は明治初期に阪神と京浜の両方でピストル強盗を繰り返した犯罪実録を物語風に書き直したもので、時事新報に長期にわたって連載され、芝居にも脚色されたという。その仇名は、肩先に男の生首を口に咥えた女の刺青をしていた事による。当時は捜査情報が共有されることが少なく、犯人が高飛びすれば新天地で平気で暮らせてしまう状態だった。罪状認否も自白が主要とされ、本人の虚偽や黙秘で決定打に至らないことも多く、これが長々としたクライム・ストーリーが盛んに作られる背景でもあった。

問題は語り口である。青々園の文体は読者をひきつける魅力があったと思う。物語後半で、嫉妬の情を内に秘めた女が、酒を飲んで酔ううちに、癇癪を爆発させて秘密をバラシてしまう描写などには圧巻の筆力を感じた。明治の世俗風景としても楽しめた。☆☆☆

 

生首正太郎:伊原青々園2

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1881237

表紙絵・挿絵は作者不明。

 

生首正太郎:伊原青々園3

 

「仮令(よしんば)逢はれぬまでも、此のお栄が東京くだりまで行方を尋(さ)がしに来て云々な哀れな眼に逢ッて死んで仕舞ったと、彼の人に妾の心が通ずれば尚(ま)だしもだが、書置を書いたって行方が知れないでは彼の人に渡すことも出来ず、夫れを思ふと味気ない芝居や小説で見るやうに、本当に人の一心が死んだ後でも幽霊になッて出ることが出来るなら、妾しゃ屹度藤さんの枕元へ立って死ぬまでの詳しいわけをシミジミ言はなくッては……さうすれば彼の藤さんだッて可愛さうなことをしたと涙の一滴(ひとしづく)や念佛の一遍ぐらゐ……妾しゃ最早夫(それ)で本望だ、何うか如来さま死んでから妾を幽霊になすッて下さいまし」(第四十五回)

 

 

 

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