(こいのまかぜ)1913年(大2)日吉堂刊。作者の秋葉生は当時のある作家の別号ではないかと思われるが、誰なのかは突き止められずにいる。極悪非道な高利貸の親の遺した娘が清楚な美人であることはよくある悲劇小説の一パターン。実母も早くに亡くしており、継母とその情人の男が同居する家で育てられる。その継母が病死する際に遺言に書き残した理不尽な内容に納得できず、幼い弟を連れて家を出る。江戸から明治にかけては50代で親が死去するケースも多く、遺された子供たちが路頭に迷うことになった。生きる上では茶屋奉公などしかなかった。筋立てが巧みで、禍福はあざなえる縄の如く読み手を誘う。所々の有名観光地案内のような記述は月並みな印象だが、当時の読者層には高嶺の遊楽への憧れであったように思われる。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。表紙絵・口絵とも田中竹園。