明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『白猫別荘』 北村小松

白猫別荘:北村小松

1948年(昭23)新太陽社九州支社刊。

 

 怪奇小説集と銘打った短編集全9篇を収める。終戦直後の刊行で版組や用紙が粗悪のため、印字も不鮮明で読みにくい。怪奇趣味というよりも、人間心理の奥底にある不可解なものを完全には否定も肯定もしきれるものではないことを気づかせてくれ、どこか文芸的な香りも感じられた。文体としては表面がザラザラとした紙のような滑りにくさがあった。相性の問題かも知れない。戦後の横浜市街の様子には親しみが感じられた。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1134075

 

白猫別荘:北村小松2

《なるほど、私も、幽霊といふものについては、それが、認識なのか、幻覚なのか断定する事は出来ない。》(弦月)

 

《それに世の中には、事実かういふ事にぶつかった事のある人よりぶつかった事のない人の方が圧倒的に多いのだし、人間は誰だって自分で経験した事のない事には、疑問と否定を押しつけたがる。けれども、更に考へて見ると、否定する人達のさういふ論拠といふものも、積極的な否定論を形作るには薄弱なものだ。それに経験したものが少数であり、かつ自分は経験した事がないから、そんな事はこの世界には存在しえないといふ独断的否定論には私自身納得する事ができない。》(弦月)

 

《音楽が一体、人間の運命を左右出来るものかどうか、私は確言する事は出来ない。(…)いづれにしろ、私は音楽に対して敏感な人間であるかも知れない。無論、それは、私が厳正な意味での音楽家であるとか、音楽批評家であるとかいふ事ではない。言はば、私の感覚が、音楽に対して色彩に対するのと同じ様に敏感に影響されやすいたちだといった方がいいのかも知れない。さういふ意味では、私はたしかに音楽によって私の精神を左右されてゐるといへるであらう。》(手風琴)

 

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