
1916年(大5)春江堂刊、探偵文庫。
俊碩剣士(しゅんせき・けんし)の3冊目を読んだ。この人は探偵活劇専門の作家として米国製活劇映画のノベライズ本を含め、大正時代の初期に十数冊の本を出している。奥付を見ると本名北島俊碩とあるので、同時代の作家、北島春石と同一人物ではないかと考えられる。要するにサイドビジネスとして探偵活劇を書く時の別称だったのかと。元々硯友社の門人の一人であった北島春石(きたじま・しゅんせき、?~1923 ?)は家庭小説を量産した通俗作家と見なされているが、古書研究家の故小田光雄氏の記述(下記抜粋)以外には詳細を知る術がなかった。非常に「筆の立つ」人だったらしく、若手作家たちへの面倒見も良かった。
この作品も春江堂の探偵文庫の一冊として出されたもので、米国の活劇映画の翻案かと思われたが、明治の探偵小説の延長線のもので、大磯の海岸で遊ぶ華族の道楽息子をフランス帰りと称する女優とその情夫が色仕掛けで誑し込むという話。その中で大正時代にようやく国産化されつつあった自動車(当初は「自働車」と表記されていた)が大通りを疾駆するという姿を描くだけでも新奇な魅力があったようだ。ましてや、黒塗りでなく青塗りの車は目立ち過ぎた。俊碩の語り口は闊達で、単純な骨組みに飽きさせずに結末まで引きつける筆力はあった。☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/905688/1/2
表紙絵の作者は未詳。
《三郎が五六歩踏出すと、彼方より砂烟を舞立てゝ馳せ来った自働車があった。今時に自働車などは珍らしくないが、その自働車が不思議にも三郎の目に止まった――と云ふには理由がある。自働車と云へば、大概黒色に塗られたものだが、今しも行手から来かゝつたのは、美しい青色に塗られてあった事だ。青自働車! こんな人目に立つ自働車に乗るものは、奇を好む人か、自家吹聴する人気商売のものが用ゐる手段である。》(青自働車の行先)
1911年 東京府東京市麻布区に「快進社自働車工場」を設立し、初のエンジンまでも含めた純国産車を開発した。
※古本夜話27 北島春石と倉田啓明(故小田光雄氏のブログ)
春石は尾崎紅葉の門にあった硯友社派の小説家であった。紅葉の死後、彼は柳川春葉の弟子になり、二流の小説家だったが、筆は立つので多くの小説を書き、代作もこなしていた。春葉の大当たりをとった新聞連載小説『なさぬ仲』は春石の代作だった。だが原稿料のことでこじれ、後半は春葉が書くことになったらしい。印税制度も確立されていない、原稿買切時代における二流小説家の春石は夫婦揃って苦労人で、人の面倒見もよいために、自ずと人が集まり、文人たちの溜り場となり、「春石部屋」の雰囲気をかもし出していた。
https://odamitsuo.hatenablog.com/entry/20100317/1268837992
※古本夜話278 柳川春葉『生さぬ仲』と代作者北島春石
桜井はそれらの作家たちの名前を挙げている。彼らは市村俗仏、渡辺黙禅、森暁紅、南海夢楽=安岡夢郷、宮崎一雨、小川集川、大橋青波、篠原嶺葉、小島孤舟、淡路呼潮、平井晩村などで、さらに桜井は付け加えている。「二流、三流いくらでも居る」と。もちろん彼らは文学事典などでも大半がきちんと立項されていない。
もう少し詳しく、桜井の筆による北島春石にふれておけば、春石は胸を病み、いつも喉に白い布を巻いていたが、美髯をつけ、眉は濃く、気さくで、笑うと愛嬌があり、物事にあまりこだわらない親分肌の鷹揚さも合わせ持っていた。
https://odamitsuo.hatenablog.com/entry/20130306/1362495640
『地獄谷:探偵奇譚』 俊碩剣士(北島俊碩)