明治大正埋蔵本読渉記

明治大正期の埋もれた様々な作品を主に国会図書館デジタル・コレクションで読み漁っています。

『天眼鏡』 翁家さん馬

天眼鏡:翁家さん馬、藤原信一・画

1890年(明23)駸々堂刊。

翁家さん馬(おきなや・さんば)を読むのはこれで2作目になる。

(再掲載)江戸時代から続く落語家の名跡で、この時期は5代目さん馬の盛期に当たる。彼は京都・大阪方面で活躍していたので、京都の版元駸々堂などの求めに応じて速記本を出していたと思われる。語り口がなめらかであり、読む者としても気持よく話に引きつけられた。

 

 元々は「ちきり伊勢屋」という有名な演目だが、さん馬は物語としての構成要素を充実させ、易者の予言を盲信した男の生き様を教訓話風にまとめている。

天眼鏡:翁家さん馬、筒井年峰・画

 評判の易者白井左近から「あと4カ月であなたの命数は尽きる」と言われた大店又伊勢屋の伝次郎は、その原因は亡き父親の代に苛酷な金儲けに走った因果であるので、財産を死ぬ日までに蕩尽するとともに、善行を施すことも怠らなかった。しかし死ぬはずの日になっても彼は死なず、無一文になって路頭を彷徨い、白井左近を責めると、改めて占ってもらうことになる。すると金に困って自殺しようとしていた母娘を救ったために、そのご利益で八十四歳まで寿命が伸びたことを告げられる。しかもあと一年半のうちに元のような大店の主人に戻れるという。半信半疑ながら伝次郎は旧友の長屋に居候としてもぐりこみ、大家の勧めで駕籠かきを始めるが・・・

 

 人の未来がどうなるかは知りたくとも知り得ないことなのだが、予言に興味が惹かれるのは否定できない。フランスのネルヴァルの短篇にも同じような話があるが、いつの世にも絶えないものだと思った。落語特有の市井話もなかなか面白かった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/891405

口絵は藤原信一、挿絵は筒井年峰、歌川国松。

 

天眼鏡:翁家さん馬、歌川国松・画

《番頭は不審ながら自分の宅の台帳を操て見ると云ふと、娘が傳次郎に渡した通り順に云ったので……だから紛失し書類に順々に書て有る、また池田屋へ質入に行ったのも其順に行って居るから紛失書を一つ一つは池田屋の台帳と合点(あふ)から「やこりゃ旦那さまゑらい事を為ました、悉皆(みんな)宅(うち)に有ります……八十三点ながら」》(第七席)

 

天眼鏡:駸々堂広告

※落語のあらすじ事典 Web千字寄席

【ちきり伊勢屋】 落語「ちきり伊勢屋(ちきりいせや)」のあらすじ・解説

senjiyose.com

 

※参考過去記事:『八百屋お七恋廼緋鹿子』 翁家さん馬

ensourdine.hatenablog.jp



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『仮面の女』 芝木好子

仮面の女:芝木好子

1958年(昭33)7月~12月、「週刊サンケイ」連載。

1959年(昭34)講談社刊。

 戦後の赤線・青線が1958年施行の売春防止法によって廃止になろうとしていた新宿の特殊飲食街で働いていた女たちの生き様を描いている。電器店の販売員菊川の情婦になっていたヒロインの亜美子は、ふとした事で大学助教授の朝吹と知り合う。彼女は街娼だったが、法の施行後は銀座のバーのホステスとなる。二人は急速に親密度を増していく。彼には病身の妻がいるが、亜美子の醸し出す魅力に溺れる。一方で街娼仲間で金を貯め込んでいると評判だった洋子が絞殺体で発見され、菊川が容疑者とされると、亜美子は自分の過去が暴かれるのを恐れて、必死で彼の逃亡を助けようとする。彼はその行動が自分に対する彼女の真の愛情だと理解する。やがて真犯人が別に逮捕され、彼は元の仕事に戻るが、亜美子は朝倉と共に隠れてしまっていた。しかしその二人の生活は愛欲に溺れ、朝倉も講義をおろそかになり、すさんだものになって行く。・・・

 

 愛を貫くことがむしろ生活の破滅に至るという出口のない恋愛模様は消化不良を感じさせた。この作品は1959年に日活で映画化された。☆☆

 

仮面の女:日活(1959)

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1647460/1/3

 

《純白の贅沢なコートの下は黄色のセーターで、その胸元はほっそりした肢体に似合わず、豊かに盛上っている。女の乳房を抱いて「豊年だ、豊年だ」と言った男の出てくる小説を、彼は思い出した。》(ロマンス・カー)

 

仮面の女:日活(1959)

《朝吹が確実に自分の客になるだろうというよろこびよりも、彼のありふれた、それでいて一人前の男の落着きにつつまれて、まだその肉体にも近づかずに歩いているのがたのしかった。肉体よりも先に心が徐々に触れ合っているたのしさを、亜美子は初めて経験していた。》(再会)

 

《夜のネオンの下では美しい女たち、銀座の舗道ではどこの令嬢かと思わせる娘たちも、一皮むけばささやかな路地の奥の陋屋に住んでいるのが都会の現実なのだ。その二面性はいずれかを仮面と言えるかもしれない。だが二つながら人の世の生きてゆく真実の姿なのであろう。》(恋のうま酒)

 

『片輪車』 柳香散史

片輪車:柳香散史

1890年(明23)駸々堂刊。

 作者の柳香散史(りゅうこうさんし、1857~1902)は「いろは新聞」の記者作家であり、黒岩涙香とも親しかった。この『片輪車』(かたわぐるま)というタイトルは、悲劇のヒロインお秋が突発事によって耳が聞こえなくなったことに因るのだが、聾(つんぼ)という言葉も現代では差別用語となっており、そのことを題材とした作品も鑑賞から遠ざけられる傾向があるのは否定できない。(差別用語としての「かたわ」という言葉の考え方については、乙武洋匡氏の意見も興味深い=下欄に引用)

 

「幽霊話は神経の反映だ」と明治の当時でも理性的な意見が表立っていたが、それでも円朝を初めとした名作怪談は人気があった。この作品も心にやましい所がある人間が怪異に追いつめられ、旧悪を懺悔する構成になっている。当時流行した講談速記本にならって、作家が所謂「書き講談」のスタイルを取って書いているのが特徴的だ。ちょうど言文一致体への動きが始まった時期であり、二葉亭四迷と同じ趣向で物を書いた人がいたという文学史的にも興味深い事例だと思われる。

片輪車:柳香散史、歌川国松・画

 ヒロインのお秋は旧士族の春木美男に嫁したが、ある時夫は東京見物に上京したまま、何カ月経っても音信不通となった。その留守中に彼女に横恋慕していた下山弘造が策を巡らし、美男が警察に拘留されていると嘘を言い、所用にかこつけてお秋と一緒に東京へ向かう。途中の箱根でお秋は下山に強姦されそうになった所を英国人夫妻に救われる。その際耳元で鳴った銃声で両耳が全く聞こえなくなる。

 

 英国人夫妻は横浜の商館にお秋を連れ、療養させるが、そこに詐欺に加担して変装した美男が来訪したので、彼女はその後を辿って東京に向かう。耳が聞こえないので、話す側は筆談だが、お秋は話すことはできるので、なんとか会話は成立する。美男はお秋のために借家するが、実は彼は新橋の芸者といい仲になっていた。お秋の不幸の根源には美男の身勝手な行動があるのだが、詐欺一味の秘密を知ったお秋は、下山によって青山練兵場で惨殺される。それ以降・・・

片輪車:柳香散史、歌川国松・画

 講談師の口演の場合、その話術に酔って脱線や迂回に陥るケースも(速記本によっても)指摘できるが、この「書き講談」は記者作家なので、人を上手に誑し込む悪人たちの手口も巧妙で、知っていることも知らない風に受け流す態度の描写も中々だった。高座で「毎度ご退屈さまで」というへりくだった口上と同じように、話の途中途中で話の進め方に対する自分の言い訳を述べるのも面白かった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/885906

口絵・挿絵は歌川国松。

 

《幽霊と云ふ者は無いものに違ひは御座いませんが、随分化学的の作用で顕はせるものだとか云ふ事も承まはりましたが散史(わたくし)は哲学者でも化学者でも御座いませんから熟れとも申しませんが其有無は学者衆に研究を願ひまして、散史(わたくし)は只幽霊は所謂神経から自己が現すものだと云ふ多数説を仮用致しまして今日より演(の)べます片輪車も申さば一種の神経病から惹起(ひきおこ)した怪談で御座りまして》(発端)

 

《演(の)べ続きました片輪車、まだ佳境(おもしろみ)に立ち入りませぬから御厭倦(ごたいくつ)で御座いませうが渾(すべ)て斯(か)う云ふお話しが初めが面白くないもので中頃から漸々(だんだん)面白くなって来るので御座いますから結尾(しまひ)まで御覧じませず面白くない抔(など)は不可(いけま)せん夫(そ)れ位の耐忍(しんばう)が出来ぬ様では何事をなされても所詮御耐忍(しんばう)は出来ません、是れは作者が御意見を申して置きます》(第十五轉)

 

《引き続きます片輪車のお話し脚色(しくみ)の拙(つたな)いうへに文体がくだらなく長く相成りまして定めて面白く御座いますまいと御推量は致してをりますが何程(いくら)お話しがドロドロにしろ立消(たちぎえ)と致す訳にも参りませんから御迷惑ながら結局まで御愛読を願ひます。》(第三十七轉)

 

片輪車:駸々堂の広告

※東洋経済オンライン《なぜ、あえて「カタワ」という言葉を使うのか 湯浅誠×乙武洋匡 リベラル対談》(後編)

https://toyokeizai.net/articles/-/44639?display=b

たとえば、僕は自分自身のことをツイッター上で「カタワ」などと表現する。いまでは差別語とされていますから、当然、炎上するわけです。では、なぜあえてそんな言葉を使うかというと、最近、障害の「害」という字を平仮名で表記する風潮が広がっている。なぜなら「害」という字が社会の害になっているように感じるからだと。でもそれを平仮名にするなら、今度は障害の「障」の字だって、「差し障る」という字なんだから、それも平仮名にしろという話になるだろうし、「しょうがい」などとすべて平仮名にするくらいなら、もう別の言葉にしてしまおうという流れになっていくと思うのです。だったら、「カタワ」でもよかったんじゃないかと。「カタワ」の語源って、「車輪は片方だけだと不具合がある」=「片輪」ですから、そこまで侮辱的な意味ではなかったはずなのです。でも、それが使われていくうちに「差別的だ」という理由で、「身体障害者」という呼び方になった。イタチごっこだと思うんですよ。障害者に対する本質的な意識や考え方を変えないかぎり、いつまで経ってもそれが続くだけでしょう。(乙武洋匡)

 

※Wikipedia かたわ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%82%8F




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『三人藤子』 篠原嶺葉

三人藤子:篠原嶺葉

1913年(大2)如山堂刊、上下全2編。

 タイトル通り三人の藤子の物語ということになるが、一人はたまたま同名で同い年だったことから本人へのなりすましに利用され、二人目は自分の名前を藤子と取り換えて育てられ、三人目は本来藤子だったのに総子(ふさこ)という名前で貰い子に出されていた。

 

 ヒロインは本来華族の血を引く総子だが、早くに母親が病死し、父親の軍人松平も戦死したため、乳母が預かったものの、その情夫によって遺産が詐取され、貰い子として名前を入れ替えて出され、その貰われ先の夫婦も病死して、その知人の高田家に引取られて育てられていた。彼女は美人かつ聡明で、実の子供たちと同様に暮らせたが、あくまでも苗字の異なる預り子なので肩身は狭い。特に女学校を卒業するとまさに結婚適齢期で、同年の娘たちは方々からの縁談やそれぞれの思いを叶えたいという動きも活発となる。総子は相思相愛の学生と親しくなるが、それを覆す大人たちの慾得ずくの身勝手な思惑に翻弄され、ついには家出して投身自殺を図るまでに追いつめられる。・・・

 

三人藤子:篠原嶺葉、村瀬義徳・画

 戦死した軍人松平の遺児を捜すという軍人たちの懸賞金に目がくらんで、偽の藤子を仕立て上げる男女や、恋愛競争に敗れた令嬢の嫉妬や腹いせなど、多くの人物が入り乱れる相関図はなかなかの壮観だった。二人目の藤子が親に似ず、真面目で親切な娘であることも路傍の花のように可憐だった。☆☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/909129

https://dl.ndl.go.jp/pid/909130/1/4

口絵は村瀬義徳。

 

『美人の犯罪』 榎本破笠

美人の犯罪:榎本破笠

1893年(明26) 金桜堂刊。

 作者の榎本破笠(えのもと・はりゅう、1866~1916)は新聞記者を経て歌舞伎座の立作者となった。特に20代の記者作家の時代に探偵小説などを書いていた。この作品は、序文に明記しているように、フランスの新聞小説(フィユトン)を翻案したものである。原作者や原題は不明で、場所をパリから東京に置き換え、人物の大半を日本人名に変えている。被害者の露月吐(ろげっと)夫人や紫琉比(しるびー)嬢は読み替えに近いが、ヒロインのお棄(おすて)もステファニーだったかも知れない。

美人の犯罪:榎本破笠、水野年方・画

 築地の外人居留地に住むフランス人母娘がある夜惨殺された。奇声が聞こえたのだが犯人はわからなかった。資産家の青年瀬越が素人探偵となって探索するが、友人の銀行員黒柳が事件の前日に頭取の命令でその家に大金を届けていた。彼はその帰途に入れ違いにその館を訪ねる令嬢の挙動が気に留まったという。彼らは有閑階級の目黒夫人の園遊会で、盗賊の首魁了庵を見つけ、その正体を暴露させようとして決闘するに至るが、逆に瀬越は重傷を負わせられる。その付近の宿屋で手当をしようと入るが、そこにいたのが例の謎の令嬢だった。・・・

 

 瀬越は令嬢お棄と恋に陥るが、彼女は容疑者として拘留されてしまう。登場する女性が全員美人なので、そのうちの誰が犯罪を犯したのかを突きとめるまでの紆余曲折が上手に仕組まれていた。冒頭の事件の設定はポーの名作から借用したのも明らかで、探偵小説の歴史的な足跡が感じられた。☆☆

美人の犯罪:榎本破笠、水野年方・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/887932

口絵・挿絵は水野年方。

 

《原書は佛國最近の出版に係る有名の探偵小説なり原書一度出るや為に巴里の紙価を騰貴せしめたりと云ふ今是を我國の事実に翻案して美人の犯罪と題したり》(序)

 

 

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『本朝悪狐傳』 玉田玉照

本朝悪狐傳:玉田玉照

1893年(明26)駸々堂刊。

 講談速記本は明治20年代から盛んに出版された。一般の小説本はまだ語りの部分が漢文調が大半であり、言文一致体が標準化されるのは明治35年以降まで時を待たねばならなかったようだ。講談師・講釈師の速記本は早くから手軽な読み物として人気が先行したのはうなづける。元来、講談は軍記語りあるいは神道講釈が起源で、中でも後者は神様(神仏混淆)のご利益を説く縁起話、怪力乱神を語ることで人々の信仰心を深めることにもなったと思われる。

 

 この一作も神道講釈の一つであり、前半は相模国高座郡の星谷観世音の使いとして現れた犬が、村民を助けたという評判が鎌倉幕府に伝わり、執権北条高時に召されて疾霹太郎と名付けられ、愛玩されたが、幕府の滅亡後は村に帰り、別の村に貸し出されるまでの話。

本朝悪狐傳:玉田玉照

 後半は、本題の悪狐たる九尾の狐が蘇り、お虎という老婆に飼われていたところに、一人の美しい娘お玉を巡って男たちが嫁取りの争いをし、その狐が娘に乗り移って、殺し合いにまで発展する。代官がお虎とお玉を追放すると、二人は足立郡千歳野原の茶屋に身を落ち着ける。しかしお玉の美貌に目をくらませた領主足立氏が城に連れ帰って以来、彼女らの悪逆非道の所業をエスカレートさせたところで、前半の犬疾霹太郎の助けによってめでたく退治される。

 

 大阪講談協会のHPによると、玉田玉照は京都講談の神道講釈の掉尾を飾った人と言われる。語り口はよく整えられていて読みやすい。関係人物は次々と流れて定まらないが、武家社会の残虐さの一端には圧倒された。☆☆

 

国会図書館デジタル・コレクション所載。

https://dl.ndl.go.jp/pid/890863

口絵作者は未詳。

 

「そも我元来人にあらず天地開闢の時に在りて、隠々たる濁気(だくき)の籠れる所形体(かたち)を狐に稟(う)け、以来数千萬年の歳月を経て、変じて白面金毛九尾となり、唐土に在て殷の紂王の妃妲己と化り彼國を乱し、遂に太公望の為に害せられしが、(…)科(はか)らず此の日本(ひのもと)に渡り来て、此国をも魔界となさんとせしに安部泰親の為に見顕はされ、剰(あまつ)さへ三浦介上総介両勇士に狩立てられ、終には此原に生命は落せしかど、一念の怨魂は争(いか)でか消えん、毒石と化して人民鳥畜を害せしを幾千萬なるを知らざりし・・・」(第五席)

 

 

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『美人自叙伝』 佐々木邦

美人自叙伝:佐々木邦、佐藤泰治・画

1930年(昭5)雑誌「婦人倶楽部」連載。

1931年(昭6)大日本雄弁会講談社刊、佐々木邦全集第8巻所収。

1954年(昭29)東方社刊。

 いわゆる美人、つまり容姿端麗の人には常に精神的なゆとりがある。自分の存在が無視されること、黙殺されることが体験的に皆無に近いためかも知れない。彼女たちは子供時代からすでに自覚している。自分について語ることになっても常人よりは一段高い位置から見ている。

 

美人自叙伝:佐々木邦、田中比左良・画

 この物語のヒロイン冨美子は、関東大震災で避難してきた日本橋の鰹節問屋の若旦那に見染められ、結婚して七年になるが子宝には恵まれない。その分だけ容色には翳りがなく、近隣でも評判の美人で通っている。その日々の他愛のない出来事をほとんど軽妙な対話文で書き綴っている。絶対的な優位に立っているので、苦悩や悲しみは出てこない。せいぜい姑からの当てつけや隣家の家付き娘との水面下での小競り合いである。美貌を永遠に留めるために有名画家から肖像画のオファーを得られたのは幸いだった。☆☆

 

美人自叙伝:佐々木邦、田中比左良・画

国会図書館デジタル・コレクション所載。個人送信サービス利用。

https://dl.ndl.go.jp/pid/1147206/1/190

https://dl.ndl.go.jp/pid/1643697

雑誌連載時および講談社版の挿絵は田中比左良。

 

 

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