
片輪車:柳香散史
1890年(明23)駸々堂刊。
作者の柳香散史(りゅうこうさんし、1857~1902)は「いろは新聞」の記者作家であり、黒岩涙香とも親しかった。この『片輪車』(かたわぐるま)というタイトルは、悲劇のヒロインお秋が突発事によって耳が聞こえなくなったことに因るのだが、聾(つんぼ)という言葉も現代では差別用語となっており、そのことを題材とした作品も鑑賞から遠ざけられる傾向があるのは否定できない。(差別用語としての「かたわ」という言葉の考え方については、乙武洋匡氏の意見も興味深い=下欄に引用)
「幽霊話は神経の反映だ」と明治の当時でも理性的な意見が表立っていたが、それでも円朝を初めとした名作怪談は人気があった。この作品も心にやましい所がある人間が怪異に追いつめられ、旧悪を懺悔する構成になっている。当時流行した講談速記本にならって、作家が所謂「書き講談」のスタイルを取って書いているのが特徴的だ。ちょうど言文一致体への動きが始まった時期であり、二葉亭四迷と同じ趣向で物を書いた人がいたという文学史的にも興味深い事例だと思われる。

片輪車:柳香散史、歌川国松・画
ヒロインのお秋は旧士族の春木美男に嫁したが、ある時夫は東京見物に上京したまま、何カ月経っても音信不通となった。その留守中に彼女に横恋慕していた下山弘造が策を巡らし、美男が警察に拘留されていると嘘を言い、所用にかこつけてお秋と一緒に東京へ向かう。途中の箱根でお秋は下山に強姦されそうになった所を英国人夫妻に救われる。その際耳元で鳴った銃声で両耳が全く聞こえなくなる。
英国人夫妻は横浜の商館にお秋を連れ、療養させるが、そこに詐欺に加担して変装した美男が来訪したので、彼女はその後を辿って東京に向かう。耳が聞こえないので、話す側は筆談だが、お秋は話すことはできるので、なんとか会話は成立する。美男はお秋のために借家するが、実は彼は新橋の芸者といい仲になっていた。お秋の不幸の根源には美男の身勝手な行動があるのだが、詐欺一味の秘密を知ったお秋は、下山によって青山練兵場で惨殺される。それ以降・・・

片輪車:柳香散史、歌川国松・画
講談師の口演の場合、その話術に酔って脱線や迂回に陥るケースも(速記本によっても)指摘できるが、この「書き講談」は記者作家なので、人を上手に誑し込む悪人たちの手口も巧妙で、知っていることも知らない風に受け流す態度の描写も中々だった。高座で「毎度ご退屈さまで」というへりくだった口上と同じように、話の途中途中で話の進め方に対する自分の言い訳を述べるのも面白かった。☆☆☆
国会図書館デジタル・コレクション所載。
https://dl.ndl.go.jp/pid/885906
口絵・挿絵は歌川国松。
《幽霊と云ふ者は無いものに違ひは御座いませんが、随分化学的の作用で顕はせるものだとか云ふ事も承まはりましたが散史(わたくし)は哲学者でも化学者でも御座いませんから熟れとも申しませんが其有無は学者衆に研究を願ひまして、散史(わたくし)は只幽霊は所謂神経から自己が現すものだと云ふ多数説を仮用致しまして今日より演(の)べます片輪車も申さば一種の神経病から惹起(ひきおこ)した怪談で御座りまして》(発端)
《演(の)べ続きました片輪車、まだ佳境(おもしろみ)に立ち入りませぬから御厭倦(ごたいくつ)で御座いませうが渾(すべ)て斯(か)う云ふお話しが初めが面白くないもので中頃から漸々(だんだん)面白くなって来るので御座いますから結尾(しまひ)まで御覧じませず面白くない抔(など)は不可(いけま)せん夫(そ)れ位の耐忍(しんばう)が出来ぬ様では何事をなされても所詮御耐忍(しんばう)は出来ません、是れは作者が御意見を申して置きます》(第十五轉)
《引き続きます片輪車のお話し脚色(しくみ)の拙(つたな)いうへに文体がくだらなく長く相成りまして定めて面白く御座いますまいと御推量は致してをりますが何程(いくら)お話しがドロドロにしろ立消(たちぎえ)と致す訳にも参りませんから御迷惑ながら結局まで御愛読を願ひます。》(第三十七轉)

片輪車:駸々堂の広告
※東洋経済オンライン《なぜ、あえて「カタワ」という言葉を使うのか 湯浅誠×乙武洋匡 リベラル対談》(後編)
https://toyokeizai.net/articles/-/44639?display=b
たとえば、僕は自分自身のことをツイッター上で「カタワ」などと表現する。いまでは差別語とされていますから、当然、炎上するわけです。では、なぜあえてそんな言葉を使うかというと、最近、障害の「害」という字を平仮名で表記する風潮が広がっている。なぜなら「害」という字が社会の害になっているように感じるからだと。でもそれを平仮名にするなら、今度は障害の「障」の字だって、「差し障る」という字なんだから、それも平仮名にしろという話になるだろうし、「しょうがい」などとすべて平仮名にするくらいなら、もう別の言葉にしてしまおうという流れになっていくと思うのです。だったら、「カタワ」でもよかったんじゃないかと。「カタワ」の語源って、「車輪は片方だけだと不具合がある」=「片輪」ですから、そこまで侮辱的な意味ではなかったはずなのです。でも、それが使われていくうちに「差別的だ」という理由で、「身体障害者」という呼び方になった。イタチごっこだと思うんですよ。障害者に対する本質的な意識や考え方を変えないかぎり、いつまで経ってもそれが続くだけでしょう。(乙武洋匡)
※Wikipedia かたわ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%82%8F
